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日々の思うこと

失われた胸のときめき

いまもなお続くコロナ禍において、あまりフォーカスが当たらないけれど、われわれが味わうことが減ったのは胸のときめきではないだろうか。

たとえばわたしたちが学生だった時代、誰しも一度は好感を抱いた相手の表情をのぞき見て胸をときめかせたりしたものだと思うが、この状況下においてはマスクをした相手の表情しか見ることができないため、相手の表情の変わり方でこちらをどのように思っているかというのは窺い知ることができないだろう。

そしていちばんにそういった機会が失われる要因ともなっているのは、お祭り事の類がほぼ中止になっていることだと感じる。

お祭り事の類は、伝統や文化を後世に遺してゆく意味合いもさることながら人間関係を発展させるのに寄与していた側面も大いにあると思うのだ。

たとえば夏祭りにおいては、いっしょに行かないかと気になる異性から誘われれば多少なり自身に好感を抱いているのかしらと感じたりするであろうし、普段と違う服装で出かけたり人混みの中で必然的に増えるコミュニケーションは胸をときめかせるには充分である。

そうしたイベントごとがあるからといって必ずしも自分の胸のときめきが得られるとは限らないが、イベントごとがあればそうした感情を得られるチャンスは大いに増えるのではないだろうか。

また、冬場においては飲み会や忘年会、ウインタースポーツなどのイベントごとに参加する機会が減ったことも大いに影響していると思う。

今年の年末は、すこしずつ日常を取り戻しつつある世の中の雰囲気があるけれど、はたしてときめきは得られるかしらん、などと期待に胸をときめかせる真冬のある日の午後7時。