終着駅

日々の思うこと

近況あれこれ

先日のブログからしばらく経ったので、最近のことを記したいと思う。

・N6のライブに行った、ラジオの感想を再開できた。

・投薬を再開した。ただし、自己責任において処方薬の一部は全く飲んでいない。(サインバルタストラテラ、アリピプラゾール)これらを飲むと、仕事に差し支えるため。

飲んでいるのは、ワイパックスと、サイレースと、ドンペリドンのみ。

・相変わらず胃が痛む。お酒を控えるようになった。あまりにも続くので、お金を稼ぎ切ったら病院を受診するつもり。

・弁護士に相談している件が進み、裁判まではしなくてよさそうで安心。

ストラテラを飲んでいないせいで、常に脳内が騒がしく、仕事中もずっと都雪が頭の中で流れている。まあこれは良いことなのかな?


本年は、とにかくお金をたくさん貯めて、N6をたくさん応援して、ゆるゆるダイエットして、楽しい年にしたい。

安定剤のおかげで少しずつ気持ちが落ち着いてきている気がする。

今月の支払い分を稼ぎ切ったら、ピューロランドのメルヘン工房に行きたいし、美味しいものを食べに行きたい、お酒を飲みたい。

あともう少しだから、がんばる。

近況あれこれ

先日のブログからしばらく経ったので、最近のことを記したいと思う。

・N6のライブに行った、ラジオの感想を再開できた。

・投薬を再開した。ただし、自己責任において処方薬の一部は全く飲んでいない。(サインバルタストラテラ、アリピプラゾール)これらを飲むと、仕事に差し支えるため。

飲んでいるのは、ワイパックスと、サイレースと、ドンペリドンのみ。

・相変わらず胃が痛む。お酒を控えるようになった。あまりにも続くので、お金を稼ぎ切ったら病院を受診するつもり。

・弁護士に相談している件が進み、裁判まではしなくてよさそうで安心。

ストラテラを飲んでいないせいで、常に脳内が騒がしく、仕事中もずっと都雪が頭の中で流れている。まあこれは良いことなのかな?


本年は、とにかくお金をたくさん貯めて、N6をたくさん応援して、ゆるゆるダイエットして、楽しい年にしたい。

安定剤のおかげで少しずつ気持ちが落ち着いてきている気がする。

今月の支払い分を稼ぎ切ったら、ピューロランドのメルヘン工房に行きたいし、美味しいものを食べに行きたい、お酒を飲みたい。

あともう少しだから、がんばる。

情緒の記録

2022年を迎えて数日が経ったけれど、どうにも不調な日が続いている。

文章にして整理すればすこしは光明が見えるやもしれぬ、と思い書き出してみる。

主には以下のような事に困っている。

・音楽を聴く気が起きない

・空腹にはなるが食欲がない、食べたいものがわからない

・対人関係の不安、情緒不安定

・胃痛と吐き気、食べても戻す

疲労困憊で寝ても2時間ほどで目が覚めて、その後起きる時間まで眠れず、起きるべき時間に眠くなる

これらの症状は、年明けからひどくなってきた。

わたしは外を歩いている時は常にイヤホンをしているくらい音楽が無いと生きていけないタイプなのだけれど、そんなわたしが音楽を聴く気にならないのはよほどの事態だという自覚はある。

自己満足のためにしていたことだが、N6のラジオ感想を毎日投稿を継続できていたのに気力がないゆえに中断してしまった。

また、食事の関連の不調は大晦日あたりから続いている。

睡眠の不調も大晦日あたりからで、過眠だったのが、昨日から不眠に転じた。

対人関係については、いままであった人間関係や家庭の事情が大きく変化した為に生じていることで、不安に苛まれているために、誰かひとりにばかり依存せず、いろいろなコミュニティに分散して興味関心を注ぐためにもまた新たな人間関係を築くべきだと分かっているが、気の合う人を探す気力が全くもってない。

以前書いた投稿にも記していることだけれど、元々躁鬱の治療をしていたので、これまで躁状態だったところから鬱に転じたのかもしれない。

また、わたしは現在かなり特殊な仕事をしていて、そのストレスと疲労もあるのだろうと思う。

睡眠の不調ゆえ連日大変忙しくしているのに疲労が全くとれない。

いろいろのことが不安なあまりそれを吐露し人に迷惑をかけてしまっているから、それもどうにかしたいし、生きやすくするためにもまた投薬による治療を再開すべきなのはわかっているのだけれど、投薬しはじめるといまわたしがしている稼業がとても苦痛になってしまって、仕事どころではなくなってしまう。

しばらくはなんとしてでも稼がなければならないので薬に頼るわけにはいかない。

書き出してみて、少なからずいまわたしがこの状況を打開するためにすべきことは、できるかぎり休める時に体を休めて、食べたいものでなくても必要な分だけ栄養を取って、適度に休みの日を作ることなのではないかと気づいた。

明日は弁護士と打ち合わせがあるために早く仕事を終わらせるので、出来るだけ早く休めるようにしたい。


きっと、また数日もしないうちにまた気持ちが変わるかもしれないが、いまはこういう状況でこう感じている、と心のうちを冷静に書き留めておくことは、のちの自分のためになると思い、ここに残した。

消化

お腹も空いていないのに夜遅くにウーバーイーツしてタコライスを貪ったからか、朝だと言うのに胃がもたれている。

先日のブログでも書いたように勝手に服薬をやめている状態なのだが、やめた時点から4kgも体重が増えてしまった。

空腹でもないのに胃に物を無理やり詰め込むのは、食べていればなんとなく充足感を感じられるのが理由だろう。


朝から遅くまで働く日々が続いているのも、食に逃避する理由のひとつだと思う。

昨晩口にした物が消化しきれず胃がもたれた状態というのはあまり良くないのも分かっているのだが、どうにもやめられずにいる。


今のわたしはこうして日々ブログを更新して、ラジオの感想を書いて、友人とたわいもないやりとりをして、それでも埋まらない穴を食でうめて、正気を保っている気がする。


本年も残り少ないけれど、残りは1日たりとて休めない。

空いた時間にでも今年を振り返って、来年の目標を立てなければ。


気が付いたら、大晦日になっているんだろうな。

救済

仕事が終わりホテルに戻ると、こんな時間ながらコンビニのレンジで温めるタイプのラーメンを食べ、買っておいた牛乳を飲み干すと、次はお酒に手をのばした。
そうして、今日一日のことをぼんやり振り返る。

「ゲームすっか」
元旦に仕事も休みでなにもすることが無くどうしたら良いかと鬱屈して相談した友人がそう言ってくれた。
友人からすればなんとなく発した言葉かもしれないが、わたしにとっては、かなりの救いで。
母親と言い争った為実家に帰る気も起きず、パートナーとも別れることになったので会うこともできず、わたしは現在一人暮らししている家でさみしくぼんやり過ごす予定だったところを、そうした声をかけてもらったことは大きかった。
実際にできるかどうかはともかくとして、そう思ってくれただけでもかなりの救いなのだ。
件の友人とは、とある件でようやく和解するに至っていて、そんな中での出来事であったから、本日に至るまでの自らの態度やありようをひどく反省した。

友人にはやはりしあわせでいてほしい。
どんな時だって健やかにいてほしい。
つらい時何度も救ってもらった。
大袈裟かもしれないけれどわたしが生きる理由でもあった。
今日だってわたしをこんなふうに救ってくれているのだから、本当に感謝してもしきれない。
友人を失望させないわたしでいたい。
大切で、失いたくない、大好きな友人だから。
朝になったら、きちんとお礼を伝えよう。

眩暈

眠気に身を委ねて瞼を閉じたその瞬間はとても穏やかな気持ちだったのに、朝目覚めたらなんだかすべてが不愉快で息苦しくていますぐなにもかも捨てたい壊したいなんて気持ちになっていた。

ひどく頭が痛む。

サイクリングしようなんて言って買った自転車も玄関で寂しげに佇んでいて、わたしはひとりぼっちで出かける気持ちになんかならないから、そんな、使われることのなく物としての役割を果たせず寂しげな佇まいすら許せなくなってきて、どこかにやってしまいたい捨ててしまいたいなんて衝動に駆られる。

全部全部自分が失態をして、心が離れていったのを認められなくて、もうどうしようもなくなっている。

この先の生活のことも考えなくてはいけないのに、考えようにも頭がまわらない。

ADHD双極性障害の治療で通っていたメンタルクリニックをキャンセルして行けずじまいになって数週間経つ。
処方されていた薬を飲まないでいると快適な面もあるが、薬で抑えられていた症状との折り合いが難しい。
薬を飲んでさえいれば家事や片付け、時間を遵守したりといったできて当たり前のことができるが、その実、飲んでいると、創造性が著しく落ちて、創作活動が一切できなくなるし、こうしてブログを書くのだってままならない。

衝動性。
いまこの瞬間も、もうなにもかも終わらせたい、そんな衝動に駆られている。
わたしが口を開けば終わるんだ。
そうする必要なんかないのに、そうしたくもないのに、なにもかもがいやで寂しくてつらくて仕方なくて、全部から逃避したくなる。

頭に浮かぶことをしたってなんの解決にもならない。
本当はわかってる。
誰かを傷つけたくもないしそうしたくもないのに、それなのに、どうせずっと辛いくらいなら今終わらせてしまったほうが楽だなんて思ったりしてしまう。
わたしの呼吸以外、秒針のみが響く部屋で、何度も何度も考えた。
それで、まずはとにかく家の掃除と洗濯をした。
片付いた部屋にいると少しばかり頭が整理されたような気がする。
そうして、わたしは自分の衝動を抑えた。
なんだか、くらくらするような眩暈がするけれど、だれかの人生の眩暈にわたしがならなくてよかった。
落ち着いたこころで、いまそう思う。

記憶の整理(お題:忘れたいこと)

今週のお題「忘れたいこと」

自分の中での鮮烈な感情というものはなかなか忘れられるものではない。
わたしの忘れたいことは、そうした感情そのものだ。
その感情に紐付けられた記憶はともかく、感情はやっかいである。
自分の中にだけ置き去りにされた感情を、わたしはどうすることもできないでいる。

忘れたいことほど強く記憶に刻まれるということをどこかで読んだことがある。
そうした記憶ほど何度も反芻してしまいがちだからであろうが、覚えていたいことほど記憶に残りづらいらしいのに、忘れてしまいたいことほど忘れづらいのは皮肉なものだ。
とはいえ、無理に忘れようとせずとも時間が経てば、いずれ忘れたい感情の記憶は薄れていくだろう。

切り花がしおれてしまうように、どこかから切断されてしまった感情は、自らのうちにあるエネルギーを使い切ったら消えてしまうと思うからだ。

忘れたいからと無理に忘れるのではなくて、あの時はああ思っていたなんて、いつか思い出になる時が自然に来たらいいのかもしれない。

忘れたいと思うことほど、実のところ忘れたくない気もする、と京王線にゆられながら思った。